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貫井徳郎 『邯鄲の島遥かなり』

邯鄲の島遥かなり 上
邯鄲の島遥かなり【中巻】
邯鄲の島遥かなり【下巻】
小説新潮』て5年以上も連載された作品の単行本化。上中下の計1500頁を超える 3巻構成。
舞台は東京都に属する離島。明治の時代に「一ノ屋」という島に伝わる名家の当主・イチマツという青年のエピソードからすべてが始まる。イチマツの遺した子たちの子々孫々が大正・昭和・平成を経て令和に至るまで、様々な物語を紡ぎ出す。

上巻は明治から大正。最初に全ての物語の起点である絶世の色男・イチマツについて描かれる。次編からも、イチマツを直接知る登場人物は多く、その子や孫はスペシャルなイチマツを意識して苦しむ様や才覚を発揮して成功を収めたりそうでなかったりの悲喜交々。漁業を主な産業とし、未開の地とは言わないまでも江戸・近世の生活様式が節々に見られ、この上巻の雰囲気が一番面白く感じた。

中巻は大正の終わりから昭和の戦前まで。上巻ではイチマツの子・平太が作った会社が島の近代化を進めるものの、関東大震災で痛手を受ける。中巻はそこからの復興、普通選挙の開始、そして日中戦争・太平洋戦争などの日本を巡る出来事の影響も色濃く描かれる。種々の悲劇が印象的ではあるが、それに挟まれて「人死島」での一風変わった観光事業や「超能力対化学」などの娯楽的なエピソードが描かれるのは面白い。

下巻は昭和の戦後と平成を経て令和に至るまで。戦後復興と、火山噴火による集団避難、東日本大震災など。面白いというか興味深いのは「野球小僧の詩」で、作品全体でも随一のボリュームの一編。試合の描写で分量が膨らんでいて、これはついつい筆が滑った、というやつかもしれない。

近代から現代を扱った大河ノベルであるが、重厚・壮大という印象は薄い。強く一貫したテーマ性はなく、舞台と登場人物の一部を共用する17編の短編集というイメージの方が強いように感じた。貫井徳郎の持ち味のリーダビリティの高さによる効能という面もあるだろう。