『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のノベライズ『ハイ・ストリーマー』『ベルトーチカ・チルドレン』と、その続編『閃光のハサウェイ』。
逆襲のシャアの映画のために書き下ろされた初稿が『ベルトーチカ・チルドレン』だが、スポンサーの意向により没となり新たに書かれたものが『ハイ・ストリーマー』である。よって、ストーリー・登場人物面では後者がほぼほぼ映画とイコールである。前者は登場人物の一部が居なかったり(チェーン)名前が変わっていたり(ギュネイ→グラーブ、ナナイ・ミゲル→メスタ・メスアなど)。ストーリーもクェスの最期が異なり、『閃光のハサウェイ』には『ベルトーチカ・チルドレン』からしか繋がらないような設定となっている。
どの作品にも共通するのは、富野御大の小説は読み辛い、ということ。視点は三人称だが一場面内でコロコロ変わる。専門用語の解説はロクになく、不要な擬音も多いため、読み手のテンポを崩すばかりでリズムが取れない。そのくせ、時折会話文で過剰に状況説明したりする。
リーダビリティ面ではこうした難ばかりだが、地の文で強烈に吹き出す人類の腐敗論に関しては異様な圧を感じる。この主張はアニメでは会話文の一言二言か、極端に言うとカットされる類のものであるが、小説では強調するがためにモビルスーツでの戦闘がないようなシーンを描いたりするわけである。
『ハイ・ストリーマー』は、映画化された部分の承前と言えるスウィートウォーターへの潜入捜査から始まる。地球連邦の腐敗とシャアに味方するスペースノイドの思想を描くことで、物語に深みを加えている。また、映画には登場しない二人の女性とアムロの色恋沙汰も見所。こんなにプレイボーイだったのかと驚愕する部分も。
『閃光のハサウェイ』は、そもそもモビルスーツによる戦闘場面があまりに少ない。主人公のハサウェイはパイロット兼テロリストの主導者で、ライバルの位置付けにいるケネスは連邦軍の指揮官でありパイロットではない(パイロットとしてのライバルはいるが、ストーリーの主軸にいる人物ではない)。ハサウェイ、ケネス、そして富豪の私娼ギギが中心となるストーリーは、連邦の腐敗とそれへの抵抗を描くことが中心。モビルスーツの戦闘が限られる状況では玩具メーカーのスポンサーがつかず、映像化は厳しいのではと思う。ただ、映像化が難しいがゆえか、小説の文章としては最も洗練された印象がある。また、モビルスーツの性能や造型も特色があり、映像化欲を駆り立てるものである。それだけに、惜しい。
『ベルトーチカ・チルドレン』の読みどころは、前述の通りの映画や『ハイ・ストリーマー』との差異が大きい。特にアムロの印象は大きく違うだろう。後者ではなぜかナンパ師になってしまっているが、前者では一児の父になろうという存在。ベルトーチカも同じく前者ではプレママだが、後者ではアムロからヤンキー娘呼ばわりである。これは少し面白い。