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北方謙三 『史記 武帝紀』

史記 武帝紀(一) (時代小説文庫)
史記 武帝紀 2 (ハルキ文庫 き 3-17 時代小説文庫)
史記 武帝紀(三) (時代小説文庫)
史記 武帝紀(四) (時代小説文庫)
史記 武帝紀 5 (ハルキ文庫 き 3-20)
史記 武帝紀(六) (時代小説文庫)
史記 武帝紀(七) (時代小説文庫)
古代中国・前漢の皇帝である武帝を主人公とした北方謙三の中国英雄物の1シリーズ。全7巻。
武帝の即位後から崩御とその直後までの時代を描く。
同著者の『三国志』と比べると、舞台の幅広さと登場人物の多様さでは劣る。戦の描写は前漢匈奴のものばかりだし、群像劇ではあるが武帝、桑弘羊、衛青、張騫、司馬遷、李陵、蘇武、歴代の単于、頭屠などに主な視点人物は限られる。それゆえの描写のしつこさがあったりもするが、反面として丁寧に武帝の時代そのものを掘り下げられている。

1巻では匈奴戦で多大な戦功を残した衛青と、前漢から西方への使節・張騫の描写が中心。
衛青の軍人としてなすべき行動の徹底と、外戚の立場にありながらも備える清廉さ・謙虚さは、北方謙三が描くあるべき漢(おとこ)の姿の一例のように思う。
張騫は、遥か西方の大月氏への使節として命を受けるが、途上で匈奴に囚われの身となり十年の時を経る。それでもなお使命を遂げるべく奔走する姿には、執念という言葉では軽く感じられてしまうほどの強靭さを感じさせる。

2巻では衛青の甥の霍去病が将軍としての才覚を発揮し始める。霍去病は才気煥発という言葉が相応しい活躍を見せ、謙虚な衛青とは異なる直截な物言いが爽快さと危うさを味わわせる。
一方で、匈奴単于やその息子たちの描写も増え、前漢だけでなく匈奴側の掘り下げも行われる。頭屠というオリジナルの匈奴の人物が登場し、霍去病の好敵手として成長していく様も描かれる。

3巻では霍去病の目覚ましい戦績とともにその早すぎる死が描かれる。前漢としての侵略者・匈奴を衛青と霍去病が連戦連勝・撃退・領土拡大していくのがこのシリーズの一つの見所であるが、唐突な霍去病の夭折により、前漢の行方に暗雲が垂れ込める。

4巻では前漢サイドの世代交代。衛青の死と次世代の李陵・蘇武・司馬遷らの掘り下げが行われる。匈奴側の描写は更に増え、捲土重来を目指し備える姿が丁寧に描かれる。
言うなれば雌伏のような中盤で、パッと飛び付けるような面白い描写はなく、前漢側は国庫の更なる窮乏や軍の腐敗、叡智を備えていたはずの武帝の判断に翳りが見え始めたりと、フラストレーションが溜まる巻と言える。

5巻では将軍として成長した李陵の奮闘と、匈奴への降伏が一大イベントとして存在する。
一方で、李陵よりも先に匈奴に囚われた蘇武は、降伏を肯んじないために北海のほとりに放逐される。現代風で言うソロキャンプの極みのような自給自足生活を過ごす様が、試行錯誤も含めて事細かに描かれ、戦とは異なる趣きで面白い。
また、李陵を弁護した司馬遷が腐刑を受けるのもこの巻。この巻で、感情移入する先が前漢側から匈奴側に決定的にシフトするような感覚となる。ここまで数巻を使って徐々に、丁寧に積み重ねてきた描写により、唐突さはない。

6巻。匈奴前漢の、本書内の最後の大きな戦が描かれる。李陵は匈奴側に立ち、かつての上席や部下らと相対す。
また、頭屠から光谷児への親子の世代交代が予感される。頭屠が子の光谷児を特別扱いしない様は、衛青が霍去病にしたそれと通ずるものがあり、敢えて対比させるように描いていると思われる。

7巻は最終巻。武帝崩御とその後の朝廷の様子、そして匈奴の地で再開していた李陵と蘇武の友情の物語の結末が綴られる。
また、司馬遷について──このシリーズの後半の見所は、司馬遷という人物像の変遷だと思う。当初は正論ばかりで煙たがられつつもその文章力を認められ少ないながら朋輩もいたが、腐刑を受けてからは機械のように感情を封じ込め、任務と『史記』の執筆のみに心血を注ぐようになる。ところが『史記』を書き終えたからか、それとも宦官として帝に近侍する中で何かを感じ取ったか、もとあった知性に加えて穏やかさを持ち、弟子も取るようになる。登場する度に司馬遷の見え方が変わる最終盤は面白い。
また、武帝の一番の側近として、全巻通して描かれ続けた桑弘羊の生き様も見逃せない部分。