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浦賀和宏氏、死去

浦賀和宏さん(うらが・かずひろ=作家、本名八木剛〈やぎ・つよし〉)が2月25日、脳出血で死去した。41歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は母悦子(えつこ)さん。

https://www.asahi.com/amp/articles/ASN355JB8N35UCVL00J.html

衝撃。
著作でしばしば「自分」を殺す作家だった。最新作の『デルタの悲劇』も、冒頭で「浦賀和宏」なる小説家の死が語られる。
このニュースも、何かの冗談かと思ったがそうではないようだ。


自分は高校生の頃に浦賀和宏のデビュー作『記憶の果て』を読んだ。
手に取った経緯は定かではないが、森博嗣にはまっていた時期に同じメフィスト賞の最新受賞作ということで手に取ったのだと思う。(なお森博嗣には今も尚はまり続けている)

『記憶の果て』は過激なインパクトを与える筋書きではないが、作品全体が主張する強烈な青春の萌芽と、ミステリとSFのジャンルの枠を超えた大胆さがあり、単純な自分はそれにあてられてしまった。
『記憶の果て』から連なる安藤シリーズは、自分の中で特別な小説たちとなった。
『とらわれびと』は、未だにマイ・オールタイムベストの10位までには入る。


初期は安藤シリーズと並行していくつかのノンシリーズ作品も刊行していた。
『眠りの牢獄』『浦賀和宏殺人事件』『地球平面委員会』など、一癖も二癖もある作品ばかりだ。この頃から既に、作中の「浦賀和宏」をあれこれして遊び始めている。


安藤シリーズの派生である荻原重化学工業シリーズや、安藤シリーズとはまた異なる鬱屈した青春を描いた松浦純菜シリーズなども、浦賀和宏だけのオンリーワンが見られる作品群だった。


ここ十年はフリールポライターを主人公とする桑原銀次郎シリーズや、ノンシリーズを多く上梓し、高いリーダビリティと練られたプロット、そして手堅いトリック・ギミックで質の高いミステリを作り続けていた。
特に『姫君よ、殺戮の海を渡れ』『究極の純愛小説を、君に』の2作は、ベテランの技量とかつて得意としていた青臭い力強さが合わさった傑作だと思う。


Wikipediaの著作リストが確かなら、もう自分が未読の単行本はない。悲しい。


ふと、浦賀和宏が縁で知り合った方たちもいたことを思い出した。皆さん元気だろうか。インターネットの黎明期から続いていたあのファンサイトも、もう今はない。


なお、今回のニュースで浦賀和宏の本名を初めて知った。「八木剛」という字面は浦賀ファンはとってはお馴染みのもので、松浦純菜シリーズや複数のノンシリーズ作品の登場人物名(またはその原型)として頻出する。

前述の最新作『デルタの悲劇』でも登場し、尚且つ作中の「浦賀和宏」の本名としての「八木剛」であった。これほど頻繁に使用する人名で、しかも自己の投影であるような作中の扱い。勘付いてはいたが、本当に本名と同名とは思わなかった。

浦賀和宏」が亡くなり、『デルタの悲劇』が遺作となる。そんなところまで、ご丁寧に作品とリンクしてしまっている。死して尚、謎を残すか。ジャンルを超えた新人としてデビューしたが、最期はミステリ作家としてまっとうした、ということだろうか。


ご冥福をお祈り申し上げます。