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島田荘司 『写楽 閉じた国の幻』

写楽 閉じた国の幻〈上〉 (新潮文庫) 写楽 閉じた国の幻〈下〉 (新潮文庫)
週刊新潮」連載作品の単行本化。
誰の作品でもそうかもしれないが、新聞や雑誌での連載が初出の小説は文章がくどくなる傾向がある(島田荘司の場合、『涙流れるままに』)。途中から読む人間に向けての配慮で、おさらいしながら進めているためだろう。だが、その点を差し引いたとしても、この作品は妙に長いうえに無駄が多い。
現代編と江戸編が並行して描かれていくが、主に現代編が中心となっていて展開次第で江戸編が挿し込まれるような形。現代編では、とある人物が死亡する事件が発生するのだが、その事件は直接的には江戸編とはリンクせず、「写楽は誰か」という謎を探る主人公の原動力の一部となるのみである。結局のところ、現代編はいくつかの謎を残したまま中途半端な結末に終わり、小説としては950頁程度(文庫上下巻)を費やしながら、写楽の謎のみを江戸編を通して解明するのが精一杯という格好。そしてその言い訳のために、小説のそれとしては些か長い20頁程度の後書きが添えられている。
島田荘司の長編では、サイドストーリーに大量の枚数を裂く傾向がある。正直なところ今までは、そうした脇道へ逸れていく展開を「ああまたか」という感じで呆れていたが、サイドストーリー(現代編の事件)の描写が不十分で消化不良な本書を読むことで、その重要性を再認識した。『眩暈』『アトポス』『龍臥亭事件』等々、執拗なまでのサイドストーリーの描写があってこその傑作だ(と思う……)。


上記の不完全燃焼さと冗長さを解消できれば、1点の着想から畳み掛ける推理展開は強引ながら素晴らしく、島田荘司お得意の日本人論(と、もしかしたら女性論)も絡まった大傑作に成り得たのは間違いない。


余談だが、回転ドアの話題が出てきた際、著者が書いたとある短編を思い出したのは自分だけだろうか……。