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書は言を尽くさず、

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古川日出男(訳) 『平家物語』

平家物語 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09)
源平合戦にかかる軍記物語を古川日出男が現代語訳。

本書は平安時代末期を舞台として歴史をなぞる軍記物語という側面と、古川日出男の現代語訳にて特色を付与された激しいグルーヴ小説という二つの側面を持つ。

前者の側面への感想は、以下4つの要素が心に残る。
1、悲哀。とにかくよく泣く。盛者必衰の理により落ちぶれる者とその縁者たちは、漏れなく袖を涙で濡らす。また、家族愛だけでなく男女愛の要素も強く、特に引き裂かれるものたちについて筆が乗っている。
2、和歌や今様などの文化。前の2つに係る感情をとにかく詠み唄う。この感情表現の形式に面喰らう部分もあるが、パターン化されていてそのうち慣れて読み通し易くなる。
3、宗教。仏教徒とその所属する寺院が朝廷・武士に並ぶ勢力として表現されることの興味深さ。そしてアンタッチャブルな存在としての仏。また、「出家」という選択肢の頻出を見るに、当時の人々にとっての宗教の身近さは現代の比ではないことが読み取れる。
4、人物像の不整合。一つの時代の転換期を描いた大河的な物語ではあるが、登場人物の一貫性という意味では疑問符が残る。様々な逸話を継ぎ足し継ぎ足しして成立したという経緯によるものだろうか。所謂「判官贔屓」のようなポジショントーク自体がその一例。本書を読むと源義経は傲慢で独善的なエピソードが多く、討たれても仕方ないとまでは言えないが一方的に肩入れされるだけの人格や大義はないように見える。まぁ、歴史上の人物の多面性を描いているとも言え、嫌いではない。

後者の側面への感想としては、フルカワ文体が持つ独特のリズムをよく活かしている、という点があるか。
平家物語」は琵琶法師らが語り継いできたものであり、本書も琵琶の伴奏とともに語っているという体で、フルカワ文体の特色を巧く取り込んでいる。
正直、フルカワ文体には読み難さがあると感じる。古川日出男の作品には強い自己完結性があり、著者の中で固まり切った物語を読者に語るように言い聞かせるような文章が多い(自己完結性という面では舞城王太郎も共通するが、文章面ではかなり舞城の方が配慮があるように感じる)。これはかなり読者を選ぶ要素であり、自分も一時期は好んで読んでいたもののアクの強さに次第にやられて距離を取っていた部分があった。
ただ、本書においては「平家物語」というれっきとした下敷きがある(著者も「ほとんど一文も訳し落とさなかった」と豪語している)ためか、その自己完結性(古川日出男の独自性)がかなり薄れている。何というか、文章上での表出に留めてくれているように思えるのだ。
また、個人的には大河ドラマ平清盛』を見ていたことによる脳内ビジュアル再生補助があり、苦難が軽減された面もあることは付け加えておく。

まとまりのない文章だが総括すると、平家の興亡について描いた語り本「平家物語」について、現代語を駆使して緩急を意識した琵琶のようなリズムで描き切った大作、ということだろうか。古川日出男があとがきで語る「狙い」については、自分には真の意で理解できていないと思うので、感想は差し控える。