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吉田修一 『怒り』

怒り(上) (中公文庫)怒り(下) (中公文庫)
同一監督の映画化という話題もあり『悪人』の流れを汲むような作品だが、両者は似て非なる。『悪人』のメインフォーカスは殺人を犯した青年とそれに惹かれる女性の二人。比べて本書は、殺人犯と思しき出自不明の3人の姿が並行で描かれるミステリー的な構成で、より群像劇度合いが強い。
この群像劇という形式は、近年の吉田修一作品の傾向とも言え、大きな物語の筋の中で個々人のリアリティある日常が描かれる。切り取って小説化した物語は終わるが、登場人物の人生は続く。それを自然に感じさせるような人物のディテール──細やかな癖・生臭い挙動・機微溢れる思考展開・僅かに見せる異常性といった様々な描写によって、エピソードの前にも後ろにも広がりを感じさせる。
吉田修一の群像劇としては、メインの物語と個々人のエピソードのバランスが絶妙な『路』が集大成と考えていたが、本書はミステリー/サスペンス色によって牽引力を強めた上で、暴力性という吉田修一が初期作品より得意としているベクトルを加えた作品で、これもまた一つの集大成。
『怒り』というタイトルは、初めは殺人事件現場に残された不気味な血文字を指す。しかし、読み終えた後には読者に考えさせるものとなる。様々な『怒り』が現れるが、言いたいことの一から十まで描く作家ではなく絶妙に行間を読ませる。最も印象に残る『怒り』も、読み手それぞれだろう。