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舞城王太郎 『JORGE JOESTAR』

JORGE JOESTAR
「VS JOJO」の第三弾。765頁。
当該企画にて舞城がジョージ・ジョースターをタイトルに選んだと聞き、JOJO第一部と第二部の空白の期間を使って大暴れするのだろうなと推測したことがあったが、実際に読んでみてとてもその程度の仕上がりでないことを把握した。


そもそも、最初の章題が「九十九十九」。で、次の章題が「西暁町」。いずれも、本家ジョジョには無い、舞城(および前者は清涼院流水)ならではのワードである……。
視点人物は確かに「ジョージ・ジョースター」であるが、全く異なるジョージ・ジョースターが二人おり、それぞれの視点での物語が並行で展開する形式。一方のジョージは原作第一部から地続きの物語にいる人物と思えるが、もう一方のジョージは「西暁町」から始まるいつもどおりの『九十九十九』『ディスコ探偵水曜日』等から連なる舞城サーガに組み込まれている。
更に、物語は原作第一部と第二部の間には収まらず、もう一方のジョージの舞台は杜王町に移って、若干の設定変更を経た原作キャラ(偏屈な某漫画家や、ワキガの某ギャング等)が次々登場。そして、二つのジョージの物語を繋いでいく「九十九十九」の存在。
文体は少し大人しいながらも、舞城作品にお馴染み、必要以上に生き急ぐような流れと自己完結癖が強い。
特に後半、原作第六部や第七部をも越える独自理論を展開し、読者をこれでもかと言わんばかりに置いてけぼりにする。


以上から、舞城ファンにとってはいつも通りの、非常に濃密な読書になったと思う。しかし、純粋なJOJOファンは一体この作品をどのように楽しんだのだろうか。
原作第一部後のエリナとDIOの海上でのエピソードや、原作各部のボス達がクロスするスタンドバトル、とあるボスの原作を遥かに超えるチートぶり等、原作ファンをニヤリとさせる要素は沢山あったが、それだけでこの765頁を受け止め切れるのだろうか。


最後に、他の著名作家によるJOJOのノベライズと比較して感覚的に語ってみる。
乙一は、第四部に巧く乙一風の登場人物を溶け込ませた。
上遠野浩平は、第五部から連なる一つの線をフーゴという不遇の人物を用いて描いた。
西尾維新は、第三部と第六部の間をDIOという素材を用いて恐る恐る丁寧に結び上げた。
舞城王太郎は、全てのJOJO流水大説西暁町を坩堝に放り込んだ状態で世界を何巡かさせた上で愛情と自信を篭めて料理した。
ただ利用したわけではない。過剰な愛がある。どう仕上がろうと、責められまい。